長野地方裁判所 昭和39年(ワ)7号 判決 1966年10月24日
原告 荻原俊雄
右訴訟代理人弁護士 鈴木敏夫
被告 塚原精一
被告 村田四郎
右両名訴訟代理人弁護士 大内亀太郎
主文
原告が被告塚原に賃貸している別紙第一物件目録および第二図面表示建物の南側部分の賃料は昭和三九年一月一日以降一ヶ月二一、二〇〇円、昭和四一年六月一日以降一ヶ月二三、三〇〇円、被告村田に賃貸している同建物北側部分の賃料は昭和三九年一月一日以降一ヶ月一四、八〇〇円、昭和四一年六月一日以降一ヶ月一六、三〇〇円であることを確認する。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を被告ら、その余を原告の各負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
原告訴訟代理人は「原告が被告らに賃貸している別紙第一物件目録および第二図面表示の建物の賃料は昭和三九年一月以降一ヶ月被告塚原の賃借部分については五〇、〇〇〇円、被告村田の賃借部分については三五、〇〇〇円であることを確認する。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を、被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二、原告の請求原因
一、原告は昭和二年一月一六日被告村田に対し長野市新田町一四七七ノ一所在の別紙第一物件目録表示の建物中別紙第二図面表示の北側の部分(以下被告村田分という)を、昭和一七年一〇月被告塚原に対し右建物中別紙第二図面表示の南側の部分(以下被告塚原分という)をそれぞれ賃貸した。その賃料は終戦後別紙第五「家賃値上り経過一覧表」記載のとおり増額されて今日に及んでいる。
二、原告は昭和三七年六月頃、賃料を被告村田に対しては一ヶ月三五、〇〇〇円に、被告塚原に対しては一ヶ月五〇、〇〇〇円に増額する旨の意思表示をしたが、被告らはこれに応ぜず、被告村田は同月より同年一一月までの間一ヶ月五、五〇〇円、同年一二月以降一ヶ月六、〇〇〇円を、被告塚原は昭和三七年一一月以降八、五〇〇円を賃料として原告に支払っている。(同一覧表△印のとおり)
三、しかし、現在の賃料はいずれも昭和三二年に定められたものであって、その後の経済変動は当時予測もできなかった程著しく、物価は勿論本件建物およびその敷地の価格の昂騰は顕著である。殊に本件家屋は現在長野市の一等地にあるため、近年その地価は著しく上昇した。また、本件建物所在地近隣の借家賃料は前項記載の賃料に比較して著しく高額のものが多く、公租公課も昂騰している状況である。以上諸般の状況に照らして現在の賃料は不相当に低額となり、その額は請求の趣旨記載のとおりとするのが相当である。
四、そこで、原告は昭和三八年一二月一一日各被告に対し右賃料を昭和三九年一月から被告村田分については一ヶ月三五、〇〇〇円、被告塚原分については一ヶ月五〇、〇〇〇円にそれぞれ増額する旨の意思表示をし、予備的に昭和四一年五月一〇日の本件口頭弁論期日において、被告らの代理人に対し同年六月以降右家賃をそれぞれ右のとおり増額する旨の意思表示をした。
五、よって、原告が被告村田分の賃料は昭和三九年一月以降一ヶ月三五、〇〇〇円、被告塚原分の賃料は昭和三九年一月以降一ヶ月三五、〇〇〇円となっていることの確認を求める。
第三、被告らの答弁≪以下事実省略≫
理由
一、原告と被告らの本件家屋の各賃貸借契約の存在、その賃料額が別紙第五、一覧表のとおり変遷してきたこと、原告が昭和三八年一二月一一日被告らに対し、翌三九年一月一日以降被告村田については一月三五、〇〇〇円、同塚原に対しては一月五〇、〇〇〇円にそれぞれ増額する旨の意思表示をなしたこと、および本件家屋とその敷地の昭和二九年以降の固定資産評価額、税額が別紙第六、対照表のとおりであることは当事者間に争いがない。
二、そして、右争いない事実によれば本件各賃料は昭和二一年以来ほとんど毎年累進的に上昇し、昭和三二年五月被告村田につき五、〇〇〇円、同塚原について七、五〇〇円と定められたのに対し、以後右増額の意思表示のあった昭和三八年一二月まで六年七月間に亘って増額がなされていないこと(この間に別紙第五記載のとおり被告らが任意若干の値上をしていることは争いがない。)、しかしてその間、本件家屋およびその敷地の税額は、それぞれ昭和三二年度の一三、三〇〇円および一五、三二〇円から昭和三八年度には一四、七七〇円および一九、一五〇円に、昭和四〇年度には一四、七七〇円および三〇、六〇〇円に増加していることが明らかであり、証人荻原泰雄の証言および原告本人尋問の結果によれば、本件建物は長野市内の中心部に当る中央通りと昭和通りとの交差点より南方約二、三十メートルの地点に位置し、商業的立地条件に恵れ、近年右交差点附近は百貨店、銀行等の新建築に伴い土地、建物の価格が高騰していること(前記争いのない事実によれば、本件建物の敷地の固定資産評価額は昭和四〇年度には一挙に前年迄の七倍余に上昇している)、および近隣の同種の建物の賃料については、永年の賃貸借のものでも一〇、〇〇〇円を超える例が多く、新規貸借で多少大きいものにおいては五〇、〇〇〇円から一〇〇、〇〇〇円に達するものも現れていることが認められ、これらの事実を考え合せると、前記増額請求のなされた昭和三九年一月一日現在において、昭和三二年五月に決定された前記賃料で当事者を拘束することはまことに不相当というべく、本件については当時その増額請求をなしうべき事由が存在したものというべきである。
三、被告村田は、同被告の賃借部分がいわゆる併用住宅に該当し、地代家賃統制令の適用を受けると主張するので考えるのに、なるほど検証の結果によれば、同被告は右賃借部分中一階の土間(別紙第一、図面赤斜線部分、奥行および間口とも二間半の六・二五坪)部分に商品を陳列し、これと奥の部分をベニヤ板および白幕等で仕切って使用していることが認められ、その事実のみからすれば右賃借部分のうち店舗は六・二五坪しかないようにみえないでもない。しかしながら、検証の結果によれば、その一階部分の構造は別紙第一、図面のとおりであって、右土間に接続して間口二間半奥行一間の畳敷の部分があり、この部分は天井も土間部分と同じ高さでその奥の居間よりは二尺程高く、土間との間には建具等の仕切も設けられていないのに反し、そこと奥の居間との間には建具の建てられるように鴨居があるなどそれがいわゆる帳場として作られたものであることは一見明瞭であるうえ、現に同被告も同所に机、椅子、戸棚などを配し、会計、商品整理などの営業に関する仕事をしていることも認められるのである。のみならず、証人小山幸の証言によれば、同被告も以前は右帳場部分を土間と一体として営業に利用していたものを、最近になって前記のとおり仕切って使用するようになったことが認められる。そうであれば、仮に現在の使用状況から店舗部分が七坪以下のようにみえても、その賃貸借契約に当っては右帳場部分を含む、八・七五坪が営業の用に供されることが前提とされていたものというべく、その後に賃借人が一方的にこれを縮少したとしても、これによりその家屋が併用住宅になるものとはいい難い。従って、右賃借部分の家賃に地代家賃統制令が適用になるとする同被告の主張は採用できない。
四、そこで、次に本件増額請求のなされた昭和三九年一月一日当時の本件各賃料の相当額について判断する。
(1) まず、相当賃料額の算定基準について考えるに、借家法第七条が、賃料決定後の経済事情の変動を賃料増額請求の事由としていることから考えると、相当賃料の決定には、一応過去に決定された賃料額を基準として、その後の事情によりこれを修正していく方法をもって本則とするといえる。従って、従前の改訂経過のような当事者間の個別的主観的事情をも考慮すべきは当然である。しかしながら、経済事情の変動に際しては経済実績と賃料との間には高低の格差を生ずることは避け難く、特に長期間の個人的信頼関係を基礎とする賃貸借関係においては、当事者の経済事情の認識の程度や、情義、その他の事情から現実にはとかく賃料増額が困難な事情にあることは顕著な事実であるし、反面、地価の騰貴は概してその土地の経済的効用の増加を原因とするものとはいえ、その高騰には土地の需給関係からする先見性ないしは投機的要素の含まれる場合も多いから、過去の一定賃料額にその後の地価ないし物価の上昇率を乗ずることのみをもって相当賃料額の算定方式とすることは当をえない。およそ、賃料は賃貸物の使用の対価として支払われるものであるから、適正賃料は当該物件に対する投下資本に適正利潤率を乗じた利潤相当額に固定資産税その他の税金および管理費を加算した額をもってその本姿とする。従って、相当賃料の算定に当っては、まず、右方式によりその物の客観的賃料を算出し、これに従来の賃料の増額の経過、過去の一定賃料とその後の経済事情の変化等前記の諸事情を考え合せてこれを決するのが相当である。
(2) そこで、まず本件賃貸借部分の本来あるべき客観的賃料について考えるのに、その額は地代相当額に家屋の価格に対する相当利潤、諸税、管理費の合算額とみうるのであって本件の如く永年の賃貸借関係においては、地代はその底地価格を基準として左記の方式によってこれを算出するのが相当である。また、本件家屋は二戸建で一体をなしているから、被告ら各自の賃料の算定については、これを合せて算出したうえ、両者の面積の比率、従来の賃料の比較等から、その額を按分する方法が適切であると考える。
X=(A+B)r+C+D/12(月)38.700円
A=敷地の底地価格(時価の55%)=225,000(円)×47(坪)×0.55=5,816,250円
B=家の価格=25,000(円)×71.5(坪)=1,787,500円
C=諸税=19,150円(土地分)+14,770円(家分)=33,920円=6,784円
D=管理費(C×0.2)
r=適正利潤率=5.5%
ところで、右方式におけるA、B、の各数値は鑑定第一回および検証の結果から、Cの数値は争いのない別紙第六、対照表からそれぞれ前記のとおりこれを認めることができ、管理費はCの〇・二倍とし、rは一年据置の銀行定期予金の利率である五・五%とするのを相当とするから、これらを前記数式に代入すれば、三八、七〇〇円(円以下切捨)の数値をうることができる。そして、前記鑑定および検証の結果ならびに争いのない事実によれば被告村田と同塚原の各賃借部分の面積の比率は家屋が約二四・五坪対約三七坪でほぼ二対三であり、敷地面積の比率もこれに類似し、かつ従来の賃料も概ね二対三の割合で推移していることが明らかである。従って右全体の賃料を右の比率で按分すれば、
被告村田分=38,700×2/5=15,480円
被告塚原分=38,700×3/5=23,220円
なる額を得ることができる。
(3) 他方試みに税金の増加をみるのに、争いのない別紙第六、対照表の数値によれば、本件敷地に対する固定資産税および都市計画税の合計額は昭和二九年度の九、九五〇円から昭和三九年度には三〇、六〇〇円と約三倍に上昇していることが認められ、これをそれぞれの右年度の家賃額と比例的に対照すれば昭和三九年度において被告村田分は一二、〇〇〇円(四、〇〇〇円の三倍)、被告塚原分は一五、〇〇〇円(五、〇〇〇円の三倍)という数値をうることができる。
(4) また、弁論の全趣旨より真正に成立したものと認められる甲第三号証によれば、全国の不動産の価格の指数は昭和二〇年五月を一〇〇として、
(土地) (建物)
昭和三二年九月 二二、〇八三 三、三八三
昭和三八年九月 八八、四四四 五、三九九
となり、土地については約四倍、建物については約一、六倍になっていることが認められ、本件の土地と建物の価格の比率は概ね三対一であるから、被告両名の昭和三二年の賃料を基準に右倍率をかければ、
被告村田分 5,000円×3/4(土地の比率)×4=15,000円
5,000円×1/4(家屋の比率)×1.6=2,000円
15,000円+2,000円=17,000円
被告塚原分 17,000円×7,500(塚原分)/5,000(村田分)=25,500円
なる各数値を得ることができる。
(5) また、近隣の借賃例をみると、≪証拠省略≫を綜合すれば、永年の賃貸借の場合における近隣の同種の建物の借賃は、近年順次増額されており、その額は二、三の例外を除き、一〇、〇〇〇円から二〇、〇〇〇円程度のものが多いこと、および最近の近隣の賃貸例には、面積等の条件も異るが、五〇、〇〇〇円から一〇〇、〇〇〇円に達するものも現れていることが認められ、本件各賃料が近隣の水準を遙かに下回っていること、およびその水準もまた現在上昇傾向をたどっていることが明らかである。
(6) その他、検証の結果に被告両名の各本人尋問の結果を綜合すれば、被告らはそれぞれ自己の賃借部分に自己の費用を投じ概ねその主張の如き修繕、改築、施工をなしこれを現況のとおり維持してきたことが認められる。それに要した金額およびこれによって本件家屋の価値が増加したか、またそれが現在どの程度残存するものかはこれを確認するに足りる証拠はないが(第二回の鑑定の結果参照)、これらの投資が本件家屋の現存価値に寄与していることは明らかであって、この事実は賃料の算定にも若干考慮すべきものと考える。しかしながら、一面これらは当事者が合意した従前の賃料にも概ね既に折込んであったものと考えられるから、従前の賃料を基準としてする算定(前記(3)、(4))においては考慮すべきものとは思われない。なお、右施工中アーケードについては、これが賃借家屋の一部を構成するものとはいえないから、これを当然賃料算定の基礎とはしえない。また、被告らは、入居の際の事情、その後の敷金などの事実を主張し、成立に争いのない甲第三、四号証および被告ら各本人尋問の結果からはその主張事実を認めうるが、住宅事情は戦前、戦時と現在では著しく変化しており、その間被告村田については約四〇年、被告塚原についても二〇余年の歳月を経過しているのであるから、入居時の事情を現在の賃料額の算定に加味しうる余地は極めて少いものと思われる。むしろこの点は、永年賃借している事実に着眼し、この点を賃料額の算定において考慮すべきが相当である(前記(2)参照)。もっとも、被告塚原が敷金として昭和一七年入居の際三〇〇円、昭和二七年一五〇、〇〇〇円をそれぞれ原告に差入れていることは客観的賃料額の算定には考慮の余地があるものと考えられる。しかし、昭和三二年以前に合意された、前記の賃料額はこの事実をも考慮して、決定されたものと思われるから、前記(3)、(4)の算定方法に当ってはこれを考慮することはできない。
(7) 以上、前記(1)説示の前提の下に(2)ないし(6)の各事実を考察すれば、(2)の客観的賃料額(村田一五、四八〇円、塚原二三、二二〇円)および(4)の指数計算額(村田一七、〇〇〇円、塚原二五、五〇〇円)は若干高額に過ぎ、(3)の税金額との比例計算額(村田一二、〇〇〇円、塚原一五、〇〇〇円)はやや低きに失するものと考えられ、相当賃料はその三者の平均である村田分につき一四、八〇〇円、塚原分につき二一、二〇〇円(一〇〇円未満四捨五入)とみるのが相当である。
以上の判断と異る鑑定の結果は直ちに採用し難い。
五、なお、原告は、昭和三九年一月以降も物価および地価は上昇しており、少くとも昭和四一年六月以降にはその各賃料は本訴請求額をもって相当とする旨主張する。そこで考えるに、昭和三九年一月以降右同日までには二年六月を経過し、その間諸物価が上昇基調にあったことは顕著な事実であるし、これに伴い近隣の家賃も上昇傾向をたどっていることは前記三、(5)のとおりである。また、前掲甲三号証によれば、昭和三八年九月から二年間に全国市街地の不動産価格指数は土地については八八、四四四から一一〇、五五一に家屋については五、七三二から六、二六四にそれぞれ上昇していることが認められ、当事者間に争いのない別紙第六、対照表の数値によれば、昭和四〇年度より敷地の固定資産税の評価額が一挙に七倍余に上昇していること、その税額もわずかながら増加していることが認められる。これらの事情を綜合すれば、前記認定の各賃料額も少くとも昭和四一年六月には当時の経済事情に合わないものと考えられ、その相当額は昭和三九年一月の前記各相当賃料額のほぼ一割増(一〇〇円未満四捨五入)に当る被告村田分につき一六、三〇〇円、被告塚原分につき二三、三〇〇円とするのが相当である。
六、そうであれば、原告の本訴賃料額確認の請求は、前記三、四のとおり、昭和三九年一月一日以降被告村田の賃借部分につき一月一四、八〇〇円、同塚原の賃借部分につき一月二一、二〇〇円、昭和四一年六月以降、前者につき一六、三〇〇円、後者につき二三、三〇〇円の範囲内でこれを正当として認容すべく、それを超える部分については失当としてこれを棄却すべきである。そこで、右正当部分に限りこれを認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条、第九三条第一項を適用して、主文のとおり判決する。
(千種秀夫)
<以下省略>